ラスト2分を笑えるか

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ラストのドイルとシムズのシーンで辺りを見渡すと、肩を震わせた人が何人もいることに気づいた。左の席のお姉さんも下に見えるおじさんもおばさんも制服を着た女の子も肩を震わせているのが二階席からはよく見えました。

赤い服を着たお姉さんは肩を大きく震わせて笑っていて。それなのに隣の人は肩を震わせて目元を拭っていたことが未だになぜか頭に残っています

 

 

 

今回は本気で考察を書きます(?)ちゃんと考察やるのが5月ぶりなうえわたしは1回だけの観劇なのでかなりオープンチャットや複数回観劇した友達からの情報提供頼りです 曖昧なところが多くあるかと思いますがよろしくお願いします

 

 

複雑かつ深い舞台なので考察しようとしたらどこまでも出来てしまうのでいくつかかいつまんで考察しました〜

 

 

 

 

 

 

 

三角関係

 

まずモリス、ドイル、シムズの性格、関係性をさくっと整理します!飛ばしていただいても構いません適当なので!(さっき本気で書くって言ったの誰)

 

モリス=ウッドナット:性や恋愛に対して嫌悪感を持つが、ハイダウェイで出会ったアイリスを愛するようになる。「あなたは私の初恋の人でした」とドイルに話しているため、アイリスドイル知っても変わらずどちらの姿であっても愛していることがわかる。

廃人の父親にネグレクトを受け愛されなかったことから、現実世界で愛されることを望んでいるように見える。最初の少女について執拗に詮索している。

 

ドイル=アイリス:かつては教育者賞をとるなど教育者として現実世界で働いていたが、学校がネザー内に設置されるようになり生徒からの愛情が受けられなくなる。同時に娘も独り立ちしたため現実世界での居場所がないと感じている。お金がなくなりパパ  から従業員にならないかと持ちかけられ顧客からアイリスになったことによって時間の進まないハイダウェイでパパからの不変の愛を一身に受けられるようになり、ネザーへの移住を考える。

1番愛に飢えている人物のように思える。愛されるのであれば現実世界の自分を捨てることも厭わない。パパと移住について話した後、移住を否定されたことで愛されていないと感じベルトで自殺する。

 

 

シムズ=パパ:ハイダウェイの創造主。パパと呼ばれている。過去に近所に住む少女に手を出しそうになったためにハイダウェイを創った。現実世界でその国の最後の1本だったポプラの木を買って植えた。

アイリスの移住に反対するなど現実世界とネザー(精神と肉体)を1番切り離して考えている印象。アイリスの正体を聞いた際の反応から見てドイル≠アイリスだと捉えようとしている。アイリスに不変の愛を与え、自分は彼女のビジネスパートナーだとして気持ちを閉じ込めているようにも見える。

 

 

雑なまとめですみません()

それぞれ最初の少女に関係がありますが

 

 

最初の少女は誰なのか?

 

これはオープンチャットでもかなり盛んに議論されていた印象がある点ですがわたし個人としては「モリスの母」ではないかと考えています。

父についてのセリフはいくつもあるのに母についてのセリフが全く無いのは不自然ではないでしょうか?オープンチャットではモリス自身がアイリス説をよく見ましたが年齢的にもお母さんの方がしっくりくると感じました。

 

小児性愛について調べてみると

 

現在、米国精神医学会 (APA) の診断・統計マニュアルDSM-5では小児性愛障害 (Pedophilic Disorder) に関して以下の記述がある。

規準A : 少なくとも6ヶ月間にわたり、思春期前の子どもまたは複数の子ども(通常10歳以下)との性行為に関する強烈な性的に興奮する空想、性的衝動、または行動が反復する。
規準B : これらの性的衝動を実行に移したことがある、またはその性的衝動や空想のために著しい苦痛、または対人関係上の困難を引き起こしている。
規準C : その人は少なくとも16歳で、基準Aに該当する子どもより少なくとも5歳は年長である。注記 : 青年期後期の人が12-13歳の子どもと性的関係をもっている場合は含めないこと。

(Wikipediaより引用)

 

とありました

アイリスは11歳(原作では9歳。11歳は基準から外れていますが日本公演での設定にのっとります)シムズ、モリスの年齢がいくつであったか劇中で明らかになっていたか記憶がないので当時のシムズを劇中の「無害な親戚のお兄さん」というセリフ、手を出しそうになった後すぐにハイダウェイを作った事実や基準Cを考慮して20歳 モリスの母がモリスを産んだ歳をとりあえず10歳足して21歳(雑)現在のモリスを劇中の「新米刑事」から25歳 と仮定し、モリスの母=最初の少女 として考えてみます

 

・危うく手を出しそうになりハイダウェイを作ったとき

最初の少女(11)

シムズ(20)

 

・モリスの母(最初の少女)がモリスを産んだとき

最初の少女(21)

シムズ(30)

モリス(0)

 

(モリス(0)想像しただけでかわいい)

 

・現在

最初の少女(46)

シムズ(55)

モリス(25)

 

 

だいたい辻褄があって見えませんか?

モリスが最初の少女と仮定して同じ計算をすると

 

・ハイダウェイを作ったとき

モリス(最初の少女)(11)

シムズ(20)

 

・現在

モリス(最初の少女)(26)

シムズ(35)

 

これではシムズがちょっと若すぎる気がします それならもっとシムズ役の俳優さんは若い俳優さんをキャスティングしそうですね、、

根本的にモリスが最初の少女になることが辻褄が合いません、自分であればアイリスを一目見て分かるはずです。もし原作にモリスが最初の少女である可能性があるならば主人公を男性にして再構築することはしないと思います。

 

父のネザーのアカウントからハイダウェイを見つけたとき、母の面影がたくさんの男性の遊びに使われ、再生するとしても斧で何度も傷つけられていると知ったとき、廃人になるほど父が愛していたのが、そして自分が愛していたのがかつての母のかたちをした少女だと気づいたとき モリスはどう思ったのでしょうか?

潔癖な自分がアイリスと関係を持ったことがより重い罪に感じてしまうかも知れません。

母を傷つけられ、廃人を作り 自分を汚すもとを作ったシムズを深く恨んだりもしたくなるかな、と思います。

(母親についてのセリフが全くないのにぶち込んでます)(父親説 よきと おもう)(どれにせよ 親 関わってそう)(言い訳すな)

 

とするとモリスの尋問はあまりにも私的な感情を含んでいるように感じます。

 

 

 

モリスは本当に捜査官なのか?

 

「モリス捜査官。それは君の本当の名前か?」

めちゃくちゃ根本的なところから疑うようになってしまいましたが()本当にネザーには警察のような機関があるのでしょうか?

シムズとモリスが尋問室で議論していることは

「人間は神になれるか」つまり「蘇る少女を斧で殺したり少女と性行為をすることはネザー内で許されるのか」です。

ふつうの捜査官ならこんなこと議論しなくてもいいはずですよね 法で裁けるので

ふたりが議論しているのは「法」ではなく「倫理」 だということに違和感を感じるんです

さらに「捜査官を派遣した」としてハイダウェイに行っていたのは結局モリスです 尋問で読み上げられる文章もウッドナットの捜査だけで事足りる内容であり本当に捜査団があったかも微妙です

 

本当の名前は「モリス捜査官」ではなくただの「モリス」かも知れない

また「本当の名前か?」ということはモリスが偽名でトーマス・ウッドナットが本名である可能性もありますね

 

「NETHERはもはや開拓時代の西部ではありません。現実世界同様、政治団体もある。独自の法律を作り、独自の訴訟システムを構築しつつあります。

 

といったセリフもありました シムズやドイルのモリスに対しての反感も露骨でした

 

まだネザー自体には完璧な法律がないのでは?

ではなぜモリスはこれほどまでに執拗に尋問をするのか?

 私刑 と呼ばれるものではないでしょうか?

 

インターネット上における私刑

インターネット上では、悪事を犯したと目される人物を正義感をもって衝動的に私刑しようとする行為(ネット自警団)が見られる。主に電子掲示板やTwitterなどのSNS・特定のホームページ上において、特定の個人を名指しして個人情報(当該人の電話番号や住所・実名・本人の写真・家族構成など)を晒し出したり、名指しで批判や暴言を投稿している場合がある。対象はいじめの相手・犯罪を犯した容疑者など多岐にわたる。

(Wikipediaより抜粋して引用)

 

めちゃくちゃ端的に言ってしまえば今のところ自治で保たれているネザーでは倫理観は完全に別としてハイダウェイは一応OKになるはずです モリスは潜入捜査によって現実世界のシムズとドイルを割り出してハイダウェイの倫理観の歪みを突きつけていることになるので もしモリスが公的機関の捜査官ではなく個人でこのような捜査をしていたとすればそれは立派な私刑です 

 

なぜここまでして裁くのか? 自分の父を奪った場所だから、アイリス/ドイルを心から愛しているから、でしょうね

父が廃人になった場所を裁くために潜入し、匿名性を重んじるハイダウェイからシムズとドイルを特定する そして愛したアイリス/ドイルが自殺したことに憤りがエスカレートしている状況でのシムズとの尋問です

 

しかしドイルはいつまでも変わらない場所・ハイダウェイで不変の愛を受けることが幸せだったのです 

モリスとの価値観、愛の定義の違いが生み出した悲劇ですね

 

 

 

3人の愛と現実の定義

 

結局なぜこのようなことになったのか?

過去の体験や性癖によってそれぞれに愛の定義、現実の定義が違っていたためにこのような救われない結末になったのではないでしょうか?1人ずつ整理します

 

 

 

ドイル:愛し愛されるためなら肉体を捨てる いつも近くにいたい ネザーこそが現実

 

広告でハイダウェイを知り、地球上とは違うその美しさに魅了され、そこで居場所を得たドイルにとっての「現実」とは肉体のある地球上ではなくハイダウェイだったのではないでしょうか

ドイルはとにかく愛を求めていました 学校や家族から受けられなくなった愛を客から斧を振り下ろされることで、そしてシムズに愛されることで満たしていました。斧の痛みより愛されないほうが痛いと彼は言いました。シムズに愛される少女アイリスであることができない方が彼にとってつらかったのかも知れません だから「感覚なんて大して重要じゃない」と言い放ったのかも

シムズに愛されるためにはアイリスでいなければならない、つまりドイルの肉体は必要ない。

自分に最高の居場所と不変の愛を与えてくれたシムズを心から愛しているからこそずっとそばにいるために移住を決意しました。ただドイルは自分ではなく最初の少女を愛しているのではないか?という疑念が移住を言い出す枷になり、そのタイミングで自分を本当に愛しているか答えて貰えず、移住を否定されたことでこれまでの愛が全て虚構であると受け取ってしまったのでしょう。

 

 

モリス:愛に姿は関係ない 肉体のある現実世界でも愛したい

モリスはアイリスと関係を持ったとき、父と同じ人間になってしまったと苦悩したでしょう。しかしネザーの時代を考えると無理もないのかも知れません。外で子供が遊ぶこともなければ学校もない。現実世界はただひたすらに空虚です

斧が愛情を超えた強い快楽であることもまた確かで空虚な現実よりも現実らしいハイダウェイで刺激的な体験ができる、それはネザーの時代に生きる人々にとっては魅力的なのかも知れません

アイリスとの関係が深まるごとに頭のよいモリスなら自分は少女のアイリスではなくアイリスという1人の人を好きになったことに気づいたでしょう。一緒にダンスを踊ったり、ボールのゲームをしたり。それは純粋な初恋でした。

そしてアイリスがドイルという男であることも知りました。モリスはシムズが最初の少女だけを愛していると解釈していたので、彼が移住して地球上からいなくなる、父と同じ廃人の道を歩むことを恐れたためにシムズに本当に愛しているか訊けと言ったのではないでしょうか。ハイダウェイでレコードを見た時「こういう物体としてあるのはいいよね」と言ったモリスですから、ドイルのことも自分の手で触れて感じられる物体の姿で愛したかったのだと思います。それが間接的に彼を殺すとは思っていなかったのでは

 

 

シムズ:愛ゆえの距離感 愛は精神でありネザーも現実世界も関係ない

 

ドイルはシムズに移住を否定されたとき、自分が愛されていることも否定されたと感じて自殺しましたがそれもすれ違いだったのかも知れません

シムズは小児性愛者でした かつて近所の女の子に手を出しそうになったことからハイダウェイを作り、同じ姿の少女を作り続けました。それはネザーに理想を構築することで現実の自分が暴走しないための策であり、欲求を満たすための策でもありました

まずアイリスは元々顧客でした ハイダウェイには一定のビジュアル選択のアバターしか入れないとはいえドイルは男性としてここに来ていたはずです そのドイルをアイリスに変えたときはビジネス用の新しい人形の中身、という気持ちでしかなかったかも知れませんがそれが徐々に変わっていき、アイリスの精神そのものを愛するようになりました 愛を純粋に求めるアイリスに歳をとらせず、不変の愛を与え、溶けては凍る本物の氷のケーキをプレゼントしました 信頼しているからこそ探せば特定出来てしまうようなプライベート(その国に1本しかなかったポプラを買ったこと)の話もしました

「私が君をどのくらい愛してるか君は分からないだろうね」

シムズがドイルをハイダウェイに移住させなかったのは愛ゆえだったのです

自分はアイリスの精神を愛する小児性愛者、愛しいアイリスでもいつ手が出てしまうかわからない。いつ傷つけてしまうかわからない。だからビジネスだと言い聞かせる、移住はさせない。入れ込み過ぎないように。シムズは自分に斧を使ったのです

ドイルが自殺したあと、本当に彼が最初の少女だけを好きならハイダウェイは絶対に手放さないでしょう、中身なんて誰でもいいからまた最初の少女と同じ姿の少女を作ればいいだけです。でもそれをしなかった。シムズはアイリスが少女であるからではなく、アイリスの精神を愛していたのです。愛ゆえに距離を置いただけであってアイリスへの愛を否定したつもりは無かったものの、捉え方のズレがこの結果に繋がってしまいました

 

 

少しずつのズレが大きなズレになって傾いて、誰も救われない終わりになってしまった、というのがNETHERだと思います

 

現実とはなんなのか?机と椅子だけの尋問室とハイダウェイ、どちらの方がより現実らしいのか?この時代に肉体がある世界だけを現実と定義する必要はあるのか?アイリスと遊んだあの日々は現実でないのか?

現実とはなんなのか。

傘を叩く雨のように感覚のあるものなのか、雪のように消えるものなのか、はたまた氷のケーキのように不変であるのか。ポプラの木の雪のような綿毛のように物体としてある肉体にしか存在しないのか。

 

 

3人の愛と現実の定義がネザーやハイダウェイの構造にがんじがらめにされてすれ違ってしまっただけであって、「NETHER」を現実世界と仮想空間の奇妙な恋愛、小児性愛者と同性愛の物語と定義するにはあまりにも深すぎると感じます。彼らの愛の前では現実も仮想空間も性別もただの記号でしかない。ただ、その人を好きになった、ただそれだけです。「NETHER」は、普遍的な愛の物語です。

 

 

一緒に観劇したお姉さんがNETHERはREALMEだ、とツイートされていて言い得て妙だと思いました。大枠取り去っちゃえばそこにあるのは無垢な愛だけ。

 

ラストの2分のあのシーンも無垢な愛だと見れば違って見えてきそうです。少女の仮面を被っていたドイルと、そんなドイルを愛していたシムズが滑稽に見えるのは、観客側の脳内に「大枠」が存在するからではないでしょうか。捉え方は自由なので、ここまでわたしの主観100%で書いているこのブログをこのまま鵜呑みにしないでいただけたら嬉しいです。現にわたしも一瞬吹き出しかけたので笑ってしまう気持ちも理解できます

違うように捉えることも正解だと思います。北山くんが笑わせたら勝ちって言ってたし  

個人的には笑いの起きた客席込みで感情を揺さぶられたのでこのように書いていますが印象操作をするつもりはないですしそれぞれのNETHER観、それぞれのラストシーン観をもつことが重要な舞台だと思います。

 

 

お互いを愛するが故に壊れた3人の関係、通じなかったそれぞれの愛と現実の定義、二度と戻らないドイル、二度と戻らない3人の無垢な愛がいっぱいに詰まったハイダウェイ。本来あるべきだった、現実にもネザーにも永遠に実現しない愛の形のようなあのラスト2分を笑えますか。

わたしは、きっと笑えません。